September 07, 2021

日比谷・ロックフェスティバルのこと

2021年9月7日(火)

先日の『ERIS33号で松本隆にインタビューして、それを補足する記事を書いたが、そのまたさらに補足を。

ディスクガレージから、作詞活動50周年を迎えた松本隆のコンサート「風街オデッセイ2021」が115日(金)6日(土)日本武道館で開催される、という告知が送られてきた。

「第一夜」(115日)の出演者は、はっぴいえんど、アグネス・チャン、イモ欽トリオ、大橋純子、亀田誠治、川崎鷹也、斉藤由貴、C-C-B、鈴木瑛美子、鈴木慶一、鈴木 茂、曽我部恵一、林 立夫、早見 優、細野晴臣、松本 隆、武藤彩未、森口博子、安田成美、山下久美子、横山 剣らを予定。予定演奏曲目は「WomanWの悲劇”より」「風の谷のナウシカ」「君は天然色」「赤道小町ドキッ」「卒業」「ハイスクールララバイ」「ルビーの指環」など。

「第二夜」(116日)の出演者は、はっぴいえんど、安部恭弘、伊藤銀次、稲垣潤一、EPO、クミコ、小坂 忠、さかいゆう、杉 真理、鈴木慶一、鈴木 茂、冨田ラボ・冨田恵一、中川翔子、中島 愛、畠山美由紀、林 立夫、藤井 隆、星屑スキャット、細野晴臣、堀込泰行、松本 隆、南 佳孝、吉田美奈子らが出演。予定演奏曲目は「A面で恋をして」「ガラスの林檎」「しらけちまうぜ」「砂の女」「スローなブギにしてくれ(I want you)」「バチェラー・ガール」「ミッドナイト・トレイン」など。

 もうひとつ、渡部洋二郎さんのfacebook2021815日の書きこみに重要な事実が記されていた。それは1971年4月に行なわれた「Rock Festival in Hibiya日比谷・ロックフェスティバル」のことだ。このフェスティバルのことは『日本ロック大百科・年表篇』にも記載されていない。日本のロックの歴史に関心のある人は、ぜひチェックを。渡部さん貴重な情報をありがとう。

なお、その中で、渡部さんは次のように書いている。

以下引用

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僕にとって嬉しかったのは、たとえ僕が渡辺プロ宣伝部に配属されたと言っても、演歌やドラマ班でなく、僕の好きなロックを担当出来たこと、新入社員の僕の憧れの上司、中井國二さんの子分になれたことだった。

このイベントに関して書かれているものは少ない。多くの評論家やレコード会社の方々は、このイベントを知らない。ロックの歴史の証言者がいない。このイベントの入場券には、「主催 ロックセクション」と記載されている。

イベンターだった方は、そんな「ロックセクション」なんて言う主催イベンターがいたと、覚えているのだろうか?

僕が想像するに、渡辺プロで好きなことだけやってた我が上司の中井國二さんが、中心に、こういうイベントを、仕切っていたと思う。

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July 18, 2021

『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』アンドレアス・ドレーゼン監督に聞く

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『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』の主人公は実在のシンガー・ソングライターだ。彼の音楽は日本では聞いたことがない人がほとんどだろう。しかし素晴らしくよくできた映画なので、観終わるころには、昔から彼のことはよく知っていたような気がしてくる。2019 年に「ドイツ映画賞」を部門(最優秀賞、作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、美術賞、衣装賞)で受賞したのも納得の傑作だ。

ゲアハルト・グンダーマンは1955年、ドイツのワイマールに生まれ、チェコとの国境に近い炭鉱地区で育った。偶像崇拝に反抗して軍隊の学校を追い出された後、炭鉱で働きながら音楽活動をはじめ、ミュージシャンとして認められてからも、炭鉱が閉鎖される97年まで技師の仕事を止めなかった。しかし過労が災いしたのか、翌98年に43歳で早逝している。

映画は1992年を起点に、7080年代の出来事と行ったり来たりしながら進んでいく。物語は音楽と恋と政治と仕事の体験をフィクションでよりあわせた組紐のようだ。

縦糸のひとつは政治。ドイツは1949年から1990年まで冷戦の最前線にあり、東西に分断されていた。グンダーマンは東ドイツに生まれ育ち、ドイツ社会主義統一党に入党。国外での音楽活動許可と引き換えにシュタージ(国家保安省)の協力者として、知人の行動の監視・報告を引き受けた。

しかし部屋の壁にチェ・ゲバラのポスターを貼る彼は、硬直した組織になじむような人間ではない。党を批判して除名。シュタージに協力しなくなると、彼自身が監視され、音楽活動を妨害されるのだ。映画が起点に置いた1992年は、ドイツ再統一後、シュタージの膨大な資料が公開されはじめた年でもある。

音楽活動を続けながら過去の記憶や罪と向き合い、償いの行脚をはじめる彼の姿を、映画は抑制のきいた語法で描いていく。アンドレアス・ドレ―ゼン監督はこう語っている。

「理想の国を作ろうとして協力者になった人は彼だけでなく数多くいたのです。自由と平等の社会を夢見た人が加害者になり、被害者にもなる。この映画の背景には、その複雑な悲劇が理解されないのが残念という思いがありました」

よかれと思って生まれた組織が、いつの間にか人々を抑圧する制度に変わる例は、時も所も政治体制も選ばない。機密保護法が作られ、異議が炎上で妨害され、コロナ禍で見回り隊が登場する現実を体験してもなお、シュタージは遠い世界の出来事、のままで安閑としていられるのかどうか……。

この映画のもうひとつの縦糸は主人公とコニーの物語だ。後に結婚するコニーと夜道を歩いているとき、強引なくせに恥ずかしがり屋の彼は気持ちを告白するかわりに「君に歌を書いた」と言う。しばらく後に、音楽仲間に囲まれてコニーがうたう「結婚式の歌」がその曲だ。2人は長い歳月を経て結ばれ、結婚後も葛藤や衝突をくり返しながら、おたがいを思いやり、人間として成長していく。

正攻法のていねいなカメラワークも見事だ。地平線まで続く露天掘りの巨大な鉱山の掘削機の映像は、どんなセットや特撮もかなわない圧倒的な力で迫ってきて、技師の仕事と彼の孤独な思索や音楽との関わりを想像させる。監督の話では、グンダーマンのファンが働いている残り少ない露天掘りの鉱山の協力が得られたからこそ撮影できた貴重な場面だという。

「足元の長靴は泥の中に埋まっているが頭は雲の中だ、という詞がグンダーマンの歌にあるんですが、彼は音楽業界に縛られないで音楽をやるために、有名になってからも炭鉱技師を続けていました。しかし環境や自然を守る歌をうたいながら、仕事で自然を破壊する自分がいるという矛盾にも悩んでいました」

詩情豊かな音楽がこの映画に快適なリズムや転調を加えている。主役の俳優アレクサンダー・シェーアは、グンダーマンによく似た風貌の持主で、吹き替えなしに説得力ある歌を聞かせる。トーリ・エイモスの曲にドイツ語の歌詞をつけた曲もうたっている。彼と一緒にオルタナティヴなロック・バンドを組むメンバーには、90年代に実際にグンダーマンと一緒に演奏していたミュージシャンが含まれている。

ボブ・ディランのコンサートのオープニング・アクトをつとめたとき、舞台の袖でディランとすれちがって挨拶を交わす場面。メンバーから何を話したのかとたずねられた彼は「ブルース・スプリングスティーンは最高」と話したと言う。前座をつとめたのは事実だが、ディランに語りかけるくだりはフィクションだ。ロック世代の監督らしいそんな遊びもある。

東ドイツ時代からビートルズの熱心なファンだった監督は、削除候補グンダーマンの歌を口ずさみながら、こんなメッセージを送ってくれた。

「映画を観ると、彼の音楽がどこから影響を受けているのか、よくわかると思います。ボブ・ディラン、ケイト・ブッシュ、ニール・ヤング……などのシンガー・ソングライターをごぞんじの方なら、なおさら共感していただけるのではないでしょうか」

 特定の時代の特定の場所で起こった出来事を普遍的な物語に仕上げた監督や脚本家の姿勢に敬意をひょうしたい。安易に使うのは避けたい言葉だが、音楽は国境を越える、という言葉にほんとうの意味でふさわしい映画だと思う。

(初出『intoxicate』2021, no.150)

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July 17, 2021

『ナガのドラム』(ミャンマー)、『イゾラド ~森の果て 未知の人々』(ブラジル)、『世界の少数民族』からたどる音楽誕生の風景

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 音楽にはその起源にさかのぼろうとする力が常に働いている。それは音楽の存在理由に関わることであり、音楽のはじまりが人類にとってあまりにも大きな出来事だったことへの郷愁だ。ショーペンハウエルは、音楽は現象を越えて実在をあらわにするものだと説いた。ヒンドゥーの教えには、宇宙の根本は原初的な音楽だとある。こうした考えは単なる希望的空想なのだろうか。それともそれ以上の何かなのだろうか。

 音楽の起源については諸説ある。

 自然音をまねることからはじまった。自然の力を畏れ敬う気持ちからはじまった。喜怒哀楽の大きな感情に突き動かされてはじまった。家事や労働にともなってはじまった。といったところが代表的なものだ。

 音楽が先か歌が先かについての議論も尽きることがない。

身体的行動による音楽が先にあり、やがて言葉が生まれ、歌が生まれた。道具を使って音を出すより声を出すほうが容易だから、はじめに歌ありきだった。手拍子などの身体的行動と発声のはじまりはワンセットだった。歌の発声を分節化して言葉が生まれてきた。などなど。

 音楽誕生の現場には目撃者がいて、初体験だから強い印象を受け、深く記憶に刻みこんだにちがいない。しかし記録して後世に伝えるすべがなかった。口で伝えたかもしれないが、たぶん音楽そのものを伝えることのほうが大切だったから、はじまりの理由やいきさつは脇に置かれ、いつしか忘れ去られた。

 いずれにせよ検証不可能なので、想像力の数だけ仮説が唱えられている。

 仮説によく参照されるのは、「文明社会」から隔絶されて暮らす人たちの音楽・音表現だ。音楽を作りはじめた原始時代の人類も、その人たちと似たり寄ったりの環境で暮らしていたと思われるからである。

 NHKBSの番組『大アマゾン 最後の秘境』の映像が2枚組DVD『イゾラド~森の果て 未知の人々~』にまとめられている。イゾラドとは厳しい自然環境の中で「文明社会」とほとんど接触せずに暮らす人々につけられた呼び名で、このDVDにはアマゾン熱帯雨林に暮らす人たちの映像が収めされている。

 DVDの1枚目『沢木耕太郎 アマゾン思索紀行イゾラド~隔絶された人々~』にはとある家族が登場する。その家族に対しては、ブラジル政府の先住民保護機関フナイの職員が接触を続けているから、厳密な意味で孤立しているわけではない。彼らは少なくとも職員のモーターボートなどの文明の利器の存在を認識している。その前から飛行機やヘリコプター、不法採掘業者や物好きな探検家を目撃していたかもしれない。

 取材班がその家族に河岸で面会を許されたとき、最初笑顔だった女性が突然、誰かに向けて激しくまくしたてはじめる。何を言っているのかわからないが、女性はきわめて険しい顔つきである。編集された字幕を見ると、彼女は「変な頭だな。切ってやるぞ。切りきざんでやるぞ」と叫んでいる。

 イゾラドのマッシュルーム・カット頭からすると、お前の髪型はおかしいという意味ならまだしも、女性の表情はそんな牧歌性からはほど遠い。その後、フナイの職員が「冗談ですよ」と説明するのだが、まかりまちがえば一触即発の危機だ。言葉が通じない状態でそんな冗談を言われても困りますがな、と思わず関西弁が出てしまう。

 その女性の言葉には、他の会話のときとは明らかに異なる、演劇的、呪術的な抑揚とリズムがある。そこからあと一歩踏み出せば、歌になるように思える。ラップならそのままでもいける。

 もうひとつ印象に残るのは、事情があって別れて暮らしていたその家族が別の家族と再会した後の場面だ。移動には家族の希望でフナイのモーターボートが使われたのだが、ボートに乗っていた少女が川面や岸を眺めながら歌を口ずさむのだ。字幕によるとこんな歌詞だ。「お父さん、お母さん、さようなら」「わたしはタパチンガ、マナウスに行くの」

「隔絶された」先住民の少女がなぜタパチンガやマナウスのような町の名前を知っているのか。フナイの職員との接触の過程で、名前を覚えたのだろうか。少女の歌には、能楽師や歌舞伎役者の子供が幼児のころ舞台で演じるせりふに通じるような抑揚がある。イゾラドの言葉の子音と母音の組み合わせは、われわれの言葉と共通点を持っているのだろうか、それとも表面的に似ているだけなのだろうか。いずれにせよ、その言葉も日常会話とは明らかにちがう抑揚をこめて唱えられていて、歌の原初的なはじまりの形を想像させる。

 労働起源の音楽のはじまりを示唆する興味深い例は、3枚組CD『ナガ族の調べ、山々に宿る言霊の記録』や映画/DVD『ナガのドラム』に見られる。こちらはインドとの国境地帯に住むミャンマー北西部のナガ自治区の少数民族の音楽や巨大ドラム作りを井口寛が記録したものだ。

 ごく短い時間しか撮影を許されなかったイゾラドの映像とちがって、井口の映像や音楽の記録にはたっぷり時間がかけられている。ハイライトは10メートルを超える太鼓作りだ。占い師のお告げにしたがって森の中の大木を切り、それをくりぬいて太鼓を作り、1キロほどの道なき道を村人総出で運び下ろし、宴を催すまでの過程が記録されている。この太鼓は「楽器としてより、重大な村の伝達事項を伝える手段として使われるもの」(土橋泰子「ナガと呼ばれる人たち」)だという。

 ナガの人々は中国やチベットなどから追われてミャンマーの険しい山岳地帯にたどり着き、長年にわたって狩猟と焼き畑農業による自給自足に近い暮らしを送ってきたと言われる。隔絶しているといっても、インド側のナガランドの住民との交流はもちろん、植民地時代や第二次世界大戦ではイギリス軍や日本軍との接触もあったか。アマゾンのイゾラドとは孤立の度合いが全く異なる。20世紀後半以降、村にはキリスト教と仏教が広がり、伝統的な精霊信仰と習合している。映画に出てくる人たちはTシャツやズボン姿で、見た目には日本人や中国人とも区別がつきにくい。なお、アメリカで活動しているシンガー・ソングライター、センティ・トイはインド側のナガランドにルーツを持つ人だ。

 巨木をくり抜き、山道を運び下ろすには、力を合わせる必要があるが、その作業は歌によって統御される。音頭とりがいて、他の者がコーラスで応じる。斧で木を叩くときの音まで音楽のように聞こえる。村の人口は約300人。かなり組織化された社会を確認する意味もある音楽なので、原初の歌とは形は違うだろうが、労働と歌の関わりの深さが伝わってくる。同様の音楽はアメリカの囚人の歌から日本の民謡や儀式の音楽にまで、世界各地でフィールドワークされている。中にはコールド・カットがアマゾンの森林伐採の映像や音とエレクトロニックなビートを同期させて環境問題を訴えた「ティンバー」を思い出す人もいるだろう。

 ナショナル・ジオグラフィック社刊行の写真文集『世界の少数民族』の帯には「世界が急速に均質化するなか、なおも伝統を保つ少数民族の貴重な記録」という言葉がある。前出のインド側のナガランドの人たちをはじめ、珍しい写真に登場する世界各地の少数民族は、好き好んで「辺境」を選んだわけではなく、「文明社会」に押し出されてそこにたどり着き、厳しい環境の中で驚くべき数々の文化を作り上げてきた。はじめて見るのに郷愁をおぼえる写真もある。泥の仮面をつけて舞い、竹笛を持つニューギニアのアサロ人は、いったいどんな音楽を奏でているのだろう。

「隔絶された」「秘境」の文化を記録に残すのは、「文明社会」のまなざしを背負った行為だ。写真から「文明社会」の痕跡が注意深く遠ざけられている中で、エチオピアのスリ人の青年が裸の肩に乗せるカラシニコフ銃が、「均質化」を推し進めてきた「文明社会」の暴力性を端的に物語っている。逆境にあって伝統を保持する誇り高さを評価するにせよ、滅びの危険性に心を痛めるにせよ、問われているのはわれわれのまなざしの置き方だという気がする。

 (初出『intoxicate』2019年 no.143)

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March 08, 2019

シャマン・ラポガン(夏曼・藍波安)『大海に生きる夢』

2018年12月22日((土)
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台湾原住民タオ人の小説家シャマン・ラポガン(夏曼・藍波安)のヘテロトピア文学賞の受賞式に行ってきた。@ 本屋B&B 下北沢
20分余りの受賞のスピーチは感銘深いものだった。漁労と農耕で暮らしてきた彼の両親は「漢人の学校の中で決して賢くなるな。漢人の社会で賢く生きれば生きるほど、わたしたちの社会では馬鹿者になるから」と説教した。彼は台北で勉強した後、故郷の蘭嶼島に戻って、両親の言うように、舟作りや素潜りの漁の生活を学んだ。
しかしその文化を伝えるために、彼は民族の表現方法まじりではあるが、漢字で小説を書かなければならなかった。彼の身体に身についた知恵は、貨幣経済にのみこまれたこの時代の島でどのように受け継がれて行くのだろう。「わたしはずっと馬鹿者だと思います」と彼は言っていたが、そこにはいろんな意味がこめられているように思えた。
会場には漢人の台湾文化センター長もいて、シャマン・ラポガンを称える祝辞を述べた後、漢人に対する批判を黙々と聞いていた。原住民に対する配慮を忘れないセンター長の気持ちも小説家の胸の内に劣らず複雑だったことだろう。
台湾政府が原住民を同胞と呼んで同化させようとしたように、中国も同じことをしようとしている。彼はある年、作家協会から招かれて北京に行った。彼を迎えたのは「ようこそ祖国へお帰りなさい」という盗っ人猛々しい言葉だった。誇り高い彼はこう語った。「わたしの身体が海洋文学です。わたしは海上に生きる遊牧民族です。だからわたしの祖国は荒々しい海です」と。
彼の小説では歌が生活に不可欠な要素として存在している。会場で彼が即興でうたった歌からもその重要性が感じられた。

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September 08, 2018

空港時光、紅い木のうた

2018年9月7日(金)
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まもなく平成という年号が終わりを迎える。30年前やその前ともちがって、年号が天皇の生死と直接関係のない終わり方をするのは久しぶりのことだ。われわれは昭和が30年前に終わったと思って疑わない。しかし73年前にそうでない終わり方をした昭和もあったことを忘れている。それを気づかせてくれたのは、温又柔の短編集『空港時光』収録の短編「百点満点」だった。
その主人公は昭和初期に台湾で生まれ育った男性。少年時代の彼は「祖国」から来た国民党の軍隊が日本人が残した神社を壊す光景を目撃する。その神社はもともと関帝廟を壊して建てられたものだった。主人公は植民地だった台湾で「昭和」がその夏に終わったことを実感する。
『空港時光』は、そんなふうに言葉や文化をとおして台湾と日本の間を往還して生きる人たちの物語を軽やかにつむいでいく。その物語は下手な歴史書よりずっと現実感あふれる形で心にふれてくる。
日本で活動するエリ・リャオ・トリオのCD『紅い木のうた』に「美しき稲穂/美麗的稲穂」という曲が入っている。プユマ人のソングライター、陸森寳作のスタンダード的な名曲だ。台湾と中国の間では、50年代から70年代まで戦闘が続いていた。その事実を背景に、前線の金門島に送られた兵士が故郷を思う設定でこの歌は作られている。
タイヤル系のエリ・リャオは、プユマのこの歌を歌うにあたってためらいがないわけではなかった。しかし福島に移り住んで農業を営んでいた農家についてのドキュメンタリー番組を見て、背中を押されたという意味のことをアルバムの解説で書いている。「美しき稲穂」に続いてうたわれるのは菊池章子の「星の流れに」だ。
ニューヨークでジャズを学んだ彼女は、アルバムでは英語でもうたっている。原住民の民謡のようなスキャットもある。ギターとベースは日本人だ。多重のアイデンティティに立脚する浮遊感のある音楽を聞いていると、『空港時光』とはまた別の角度から歴史の物語が聞こえてくるような気がする。

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April 04, 2016

浅川マキの『Maki Asakawa UK Selection』

2016年4月3日(日)

 浅川マキの『Maki Asakawa UK Selection』というアルバムをプロデューサーの寺本幸司さんから送っていただいた。イギリスのオネスト・ジョンズから発売された編集アルバムを日本盤化したものだ。
 オネスト・ジョンズは70年代からロンドンのポートベローにあるレコード店で、ブルースを中心に多様なレコードを扱っていたが、21世紀に入ってブラーのデーモン・アルバーンと手を組んでレーベルを作り、復刻や新録も手がけるようになった。このレーベルによる20世紀前半の貴重なSPや7インチ音源の復刻盤からぼくは多くのことを教えられている。

 同レーベルのサイトは浅川マキを、演歌、フォーク、ブルースを内包するカウンターカルチャー的なジャズ歌手として紹介している。たしかに彼女は同時代のフォーク、ロック系のシンガー・ソングライターとちがって、ジャズ的なブルースをベースに曲を作っていた。ヒットした「かもめ」は歌謡曲的なワルツに聞こえたが、それはこの曲が歌謡曲と「主にジャズ系のミュージシャンが演奏し、ミックスでヴォーカルを前に出し、各楽器の音を明確に録音する」方法を共有していたからであり、彼女には米軍キャンプでうたった洋楽体験と同じくらい歌謡曲の体験があったからでもある。たとえば亀渕友香は回想で、浅川マキは美空ひばりの歌をすごくうまくそのとおりにうたえる人だったと語っている(『ロング・グッドバイ 浅川マキの世界』)

 音楽業界内でのロック系の音楽と歌謡曲の溝が、いまとちがって非常に大きかった当時、ロック系の音楽に夢中だったぼくは、彼女の音楽のよい聞き手とは言えなかったが、逃げても逃げても追いかけて来る声というか、ジャズ的な演奏にとらわれずに調子はずれ寸前のところで綱渡り的なバランスを保っている彼女の低い歌声は耳にこびりついて離れなかった。

 選曲基準については書かれていないが、イギリスの選曲者や聞き手には、ジャズやリズム&ブルースのエキゾチックな解釈として新鮮に感じられるのか、1曲目には笛が雅楽や民謡の笛のように聞こえる「眠るのが怖い」が選ばれている。数多い洋楽曲の中からラダ・クリシュナ・テンプルの「ゴビンダ」が入っているのもイギリスならではだ。山木幸三郎や山下洋輔が作曲した洗練された曲はサウンド的に外国の人にもなじみやすいのだろう。

「夜が明けたら」「少年」「裏窓」など、日本のベスト盤になら入る曲が入っていなくて、「ちっちゃな時から」が2ヴァージョン(スタジオ録音のイントロはBS&Tを借用している)収録されているのもこのアルバムの特徴だ。その「ちっちゃな時から」で、リズム&ブルース的な演奏によくのって彼女がビブラートやこぶしを使いながらうたうのを聞いて連想したのは往年のタイ歌謡の女王プンプァンのアップテンポなヒット曲だった。昔はプンプァンのことなど知らなかったので、このアルバムで久しぶりに彼女の歌を聞いて、またひとつ楽しみが増えた。両者の類似は、相互の影響があったとは思えないので、偶然だろうが、これは洋楽的な演奏にアジアの言葉が出会って歌が生まれるときに、遠く離れたところで同じような現象が起こりうる例として記憶しておきたい。

 ロンドン大学で日本語や日本文化を教えているアラン・カミングスが、70年代中頃までの浅川マキの活動をデビュー前の経歴も含めて俯瞰的に詳しく書いている解説も参考になる。

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April 06, 2014

桜並木の阿波踊り写楽連、木村友祐『イサの氾濫』、黒川創『いつか、この世界で起こっていたこと』、佐々木幹郎『東北を聴く』

2014/4/6 (土)

 午後、八幡山のSさんに誘われ、ご当地のさくら祭りに行ってきた。団地の桜並木を、季節外れの写楽連の阿波踊りが練り歩いて来る。いまの阿波踊りには、練り歩きの踊りだけでなく、見せるための舞台踊りがあることをはじめて知った。
 後で家に帰って徳島の阿波踊りのYouTubeを見てみたら、前夜祭の舞台だけでなく、パレードの踊りがずいぶん多様化している。40年以上前に鳴門市で見たときにくらべ、グルーヴ志向が強まった印象を受ける。「よさこいソーラン」のようにロック的なサウンドを加えるのではなく、従来の鳴り物のリズムを工夫することで、現代的な感覚を出そうとしているのがおもしろい。
 上北沢の桜並木でお団子を食べた後、2年前に改装され、ブロック塀が金属のフェンスに変わった都立松沢病院のまわりを散策した。そしてさくら祭りの会場で年配の有志の方たちが作っていた木製の格安プランターを買って帰った。
 夕方、下北沢のラカーニャで10ストリングス(まれか&じゅんじ)のライヴ。アイルランドのコンサルティーナ奏者コーマック・ベグリーを迎えての楽しいステージだった。早めに終わったので代官山の「山羊に、聞く」で行なわれているミニサーカス隊キャラバン!の「東北6県ろ~る!! んだ! 満開ライブだど~っ!!!!」へ。途中からだったが、原マスミ、中川五郎のライヴ、震災を受けて書かれた小説家木村友祐の『イサの氾濫』の朗読などを聞く。最後はその小説に刺激を受けて生まれた「まづろわぬ民」を白崎映美、伏見蛍、小峰公子、向島ゆり子で。
 

2014/4/5 (金)

 東日本大震災と福島原発事故の後、自分の依って立つ足元について考えることが増えた。阪神大震災のときはそれほどでもなかったから、それ自体、東京に暮らす者の身勝手な反応ではあるが、想像力の欠如に気付いたことだけでも何も感じなかったよりはましと思うことにしよう。とはいえ考えの中身のほうは身も蓋もないほど単純で、いまだにうまく言葉にできないでいる。だから自分の頭で考えたことを言葉にしている人に出会うと、敬意を払わずにいられない。
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 黒川創の『いつか、この世界で起こっていたこと』(新潮社) は、震災と原発事故をふまえて書かれた短編小説集で、6つの短編が収められている。昨年5月に単行本が出てからすでに多くの人に評されているが、最近、仲俣暁生さんがどこかでこの本にふれていたのを見て、おそまきながら読んでみた。
 6つの短編はそれぞれ独立した物語だ。著者の回想をからめたと思われる物語もあれば、旧ユーゴ出身の歌手ヤドランカをモデルにしたと思われる物語もある。しかしいずれの作品にも震災もしくは被爆についての記述が出てくるので、連作として書かれたことはまちがいない。読者は読み進むにつれて、福島の事故とアメリカの原爆製造施設とチェルノブイリのキノコとコソボ紛争で使われた劣化ウラン弾と横須賀の原子力空母が連鎖してくるのを目の当たりにする。
被災者を主人公にした「波」以外は、評論やエッセイめいた部分とフィクションを巧みに組み合わせた書き方だ。いや「波」にも登場人物が『旧約聖書』や『白鯨』にまつわる話や、サハリンの資源開発と自然破壊について評論風に語る部分があるから、軸足が少しちがうだけかもしれない。その重層性がこの短編集の技術的なおもしろさであり、災害の体験を記憶に残すために選ばれた方法でもある。その視点と抑えた筆致が震災や被爆を他人事にしないという作者の決意と想像力の強さを感じさせる。

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 佐々木幹郎の『東北を聴く 民謡の原点を訪ねて』(岩波新書)は、震災後に津軽三味線の二代目高橋竹山と共に東北の民謡をたずね歩いて書いた本だ。
 いまわれわれが放送や録音媒体を通じて聞く民謡は、練って形を決め、高度な訓練を受けた歌手がうたうものがほとんどだ。たとえばこの本の中にも「新相馬節」のうたい出しの「ハア~」は、四拍半でうたうことに決まっているというような話が紹介されている。民謡はそのように「伝統的に」保存され、もうあまり変化のしようがないものとしてわれわれの前にある、ように見える。
 しかし著者は旅の中で、外からもたらされた民謡がどのように土地固有のものに変容したかを知り、時代と共にどのように変化してきたかを確かめ、その事実を淡々と記していく。そんな記述の中に初代高橋竹山を1933年の昭和三陸沖地震の津波から救った村人の話や民間信仰の話がさりげなくはさまれる。
 東日本大震災を経た後、うたい手にとっても聞き手にとっても、東北民謡のいくつかは、それまでとはちがった意味を帯びざるを得なくなった。たとえばこれから先、復興が明るく語られる機会が増え、被災者の傷がいやされていったとしても、被爆して見捨てられた牛や馬のことを抜きにして「南部牛追唄」をうたったり聞いたりすることは、少なめに見ても一世代か二世代、実際はもっと長い間、難しいと思われる。
 「民謡というものの、その土地の風景にあわさったときの幻想性は底知れない」と著者は書いている。詩人は「新相馬節」の、遥か彼方は相馬の空かヨ、という歌詞を聞く被災者の気持ちに思いをはせる。きめの細かな文章のうるおいがこの本を忘れ難いものにしている。

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January 22, 2014

fRoots 2013のアルバム、彌勒忠志、高本一郎、アラビンディア、Saigenji

2014/1/22 (水)

 遅くなったが『fRoots』誌の2013 年のアルバム・オブ・ザ・イヤーの結果です。
1 Catrin Finch & Sekou Keita / Clychau Dibon
2 Bassekou Kouyate & Ngoni Ba / Jama Ko
3 Lisa Knapp / Hidden Seam
4 Anais Mitchell& Jefferson Hamer / Child Ballads
5 Martin Simpson / Vagrant Stanzas
6 Tamikrest / Chatma
6 The Full English / The Full English
6 Linda Thompson / Won’t Be Long Now?
9 Ciqdem Aslan / Mortissa
10 Kayhan Kalhor & Erdal Erzincan / Kula Kulluk
 うーむ。ずいぶん偏ってるなという印象。CD不況で英米フォークに後退戦を強いられているということなのだろうか。


2014/1/18(土)

午後、祖師谷のサローネ・フォンタナでカウンターテナーの彌勒忠志とリュート&バロック・ギターの高本一郎によるナポリ歌謡ナポレターナのコンサート。二人のアルバム『古楽仕立のカンツォーネ』発売記念。もともとテノール歌手がうたうことが多かったナポリ歌謡は、20世紀後半にはポップス系の解釈も増えてきたが、カウンターテナーによるナポレターナのアルバムは世界初とのこと。スペイン経由のアラブ音楽の影響についてふれて「マレキアーレ」に出てくるコブシ回しを説明したりしながらのワールド目線もあるコンサートだった。アンコールは観客の挙手によるアンケートで人気のあった曲をやるという趣向だった。


2014/1/17 (金)

 夜、西荻窪の音や金時でアラビンディアのライヴ。常味裕司(ウード)、太田恵資(ヴァイオリン)、吉見征樹(タブラ)の3人がこの店で顔を合わせるのは約2年ぶりとのこと。演奏されたのはアラブやトルコの古典曲中心だったが、ほどよい緊張感があって、とても楽しめた。お客さんの連れてきた3歳くらいの女の子が通路の床を這いながらステージに進んで行く姿がとても愛らしかった。


2014/1/16 (木)

東京音楽大学にSaigenjiさんに来てもらって、ブラジル音楽とギターの変遷についての授業に参加していただいた。実際にギターを弾きながらの授業は、さすがに説得力があって、ぼくも学生に戻った気分だった。うたっていただいたオリジナル曲も素敵だった。こういうアナログな音楽からコンピュータで作曲することに慣れている学生さんが多くの刺激を受けてくれたであろうことを祈りたい。

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September 30, 2013

『アトランティック・レコードを創った男』他、本の感想。

2013/9/29(日)

 たまっている本を読んだ感想の続き。
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『アトランティック・レコードを創った男 アーメット・アーティガン伝』
ロバート・グリーンフィールド著、野田慶子訳、折田育造監修
(スペースシャワーブックス、2013年)
原著The Last Sultan: The Life And Times Of Ahmet Ertegun, by Robert Greenfield, 2011
 もし20世紀後半のR&Bやロックの歴史からアトランティック・レコードを削除すれば、とてつもなく大きな空白ができる。そのレコード会社を作り、育てた人物の伝記。
 1947年、アーメットとハーブ・エイブラムスンがニューヨークでアトランティック・レコードを設立した。1949年には『ビルボード』誌でリズム&ブルースというジャンル名を発案した男ジェリー・ウェクスラーが加わった。アトランティックは50年代にはR&Bのトップ・レーベルに成長し、60年代以降はロックの分野でもめざましい躍進を続けた。その途中の1967年にワーナー・グループに加わってインディペンデントではなくなったが、アーメットは亡くなるまでアトランティック・レーベルの指揮をとり続けた。
 元駐米トルコ大使の息子として生まれ、無類の音楽ファンで、音楽史に残る数多くの作品を手がけ、百鬼夜行の音楽業界を泳ぐすべを知っていた人物だから、奇想天外なエピーソードには事欠かない。会社が大きくなってからの契約をめぐる駆け引きや社交の話もおもしろいが、音楽ファンには50年代までの記述が興味深く読めるだろう。破天荒なやり手のビジネスマンは他にいくらでもいるが、ポピュラー音楽の歴史を支えてきた人は、そうざらにはいないからだ。
 巻末に、日本で長年にわたってアトランティック・レコードを担当していた折田育造の回想が付け加えられている。

『キャロル・キング自伝 ナチュラル・ウーマン』キャロル・キング著、松田ようこ訳、河出書房新社、2013年
原著 A Natural Woman a memoir, by Carole King, 2012
 シュレルズの「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」、リトル・エヴァの「ロコモーション」、ドリフターズの「アポン・ザ・ルーフ」、アリサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」、ジェイムス・テイラーの「君の友だち」など数多くのヒット曲を作曲しただけでなく、シンガー・ソングライターの時代には『つづれおり』の大ヒットを放ったキャロル・キングの自伝。
 本当に自分で書いたようで、ていねいに書いてあるところもあれば、話が尻切れとんぼになっているところもあるが、人柄がよくわかる文章だ。上記のヒット曲にまつわるエピソードはもちろん楽しいが、少女時代に演劇をめざしていたところや、公民権運動への関心なども興味深い。結婚生活のあれこれをつづったところは驚愕だった。
 かつてビートルズの伝記本では、彼らがキャロル・キングに会いに行ったのは1964年の最初のアメリカ公演のときと書かれていたが、この本によれば1965年に彼女がホテルに訪ねて行ったことになっている。どっちが本当なんだろう。高校生だったときに、上記のアトランティック・レコードにいきなり売り込みに行った話も出てくる。そのときアーメットとジェリー・ウェクスラーは・・・その先は本をお読みください。

『ドレのロンドン巡礼 天才画家が描いた世紀末』谷口江里也著、講談社、2013年
フランスの画家ギュスターヴ・ドレが19世紀末にロンドン各地を活写した絵をもとに、当時のロンドンの様子を現在と照らし合わせながら考察した本。1872年に刊行された図版がたくさん収録され、美術批評的な記述があるのはもちろん、社会批評的な側面からの記述も多い。
絵を一見して感じるのは、ある種の過剰さだ。それがこの画家の作風によるものなのか、19世紀末のロンドンがそうさせたのかはぼくにはわからない。街路や建物を埋め尽くすおびただしい群衆は、産業革命によって生まれた都市に引き寄せられた人々の期待と同時に一触即発の不安をも感じさせる。
音楽にまつわる劇場などの絵は少ないのだが、イギリスのロックに登場する街路を思い浮かべながら読むと、音楽を聞く楽しみが増える。移民の集まる街角の絵からは、いまのロンドンに直接つながる空気も感じられる。個人的には、9月にオルケスタ・リブレ版『三文オペラ』(ロンドンが舞台)を見た後に読んだので、よけい興味深かった。


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September 13, 2013

スキヤキ・トーキョー

2013/9/12(木)

 8月の27日(火)から29日(木)まで、渋谷WWWで行なわれたスキヤキ・トーキョーに今年は3日とも足を運んで、出演者にインタビューすることもできた。
 パルコの近くにある会場WWWはかつての映画館シネマライズを改造したもので、スペース・シャワーが運営している。大きさはスタンディングで3百人くらい、詰めればもう少し入るだろうか。フロアに段差があるのでステージが見やすいのがありがたい。ただし、フロアにもロビーにも、座れるところが少ないので、長時間のライヴには体力が必要。
 27日の前半はヴェルナー・プンティガム(オーストリア/トロンボーン)、マチュメ・ザンゴ(モザンビーク/バラフォン他)、サカキマンゴー(日本/親指ピアノ)によるスペシャル・コラボ・バンド。ヴェルナーとマチュメはヨーロッパではユニットで活動しているそうで、エレクトロニックなリズムに生楽器を重ねた音楽。マチュメとサカキマンゴーは柔軟なリズム感覚が共通するが、ヴェルナーは現代音楽寄りの「揺れない」リズム感覚の持主なので、アンサンブルは微妙。その距離を評価するか、違和感を持つかで、楽しみ方が変わってくると思った。
 後半はジンバブエのオリヴァー・ムトゥクジ&ザ・ブラック・スピリッツ。本人のギターに、コンガ、ドラム、ベース、女性コーラス2名という編成。同国の巨人トーマス・マプフーモのかつてのバンド・メイトにして後輩にあたるオリヴァーは、ひたすらストイックな先輩とちがって、エンタテインメントなシンガー・ソングライターで、ギターで短いフレーズをくりかえし弾きながらうたう。そのポップなフレーズには親指ピアノのフレーズを移し変えたようなところと、英米のブルースやロック、あるいはラテンにも通じるところがあり、ボニー・レイットが影響を受けたのもなるほど。リズム・アンサンブルには洗練されたグルーヴがあり、本人やメンバーがときどき披露するダンスのやりすぎない品のよさも楽しかった。朝日新聞にコンサート評を書いた。インタビューは『CDジャーナル』に掲載の予定。
 28日の前半は高木正勝。会場は昨日とはうってかわって若い女性客でいっぱい。彼はCG処理された映像を写しながらピアノを弾き、ときに揺れるような柔らかい声でうたった。途中から熊沢陽子(ヴァイオリン)らが演奏に加わった。音数の多いピアノも、抽象的な映像も、エチオピアで撮影した子供たちを加工した映像も、彼の表現からはある種の過剰さが感じられ、その過剰さがどこから来るものなのかを思いめぐらせて謎が深まるうちに演奏が終わった。
 後半はユーカンダンツ(ユー・キャン・ダンス)が登場。彼らはエチオピア人歌手アスナケ・ゲブレイエスとフランス人の4名のミュージシャン(サックス、ギター、キーボード・ベース、ドラム)によるバンド。アスナケがうたうエチオピア風5音階メロディの歌とプログレッシヴ・ロックやヘヴィ・メタル的なロック・サウンドとの組み合わせが話題。アスナケは予想以上に歌に力がある人で、情熱的にうたいまくり、踊りもダイナミック。演奏がスピード・アップしてもクールな感触を失わないフランス勢との組み合わせが、おもしろくもあり、不思議でもあった。アンコールでやった次のアルバムに入る予定の新曲が印象に残った。
 29日の前半はアルゼンチンのマリアナ・バラフ。打楽器を叩きながら民謡的なオリジナルをうたう。新作アルバム『サングレ・ブエナ』もサウンド的にはオーソドックスなフォルクローレに舵を切ったアルバムだったが、エレクトロニックな音を使っていた前回の来日とちがって、今回は生っぽさを強調。ボリビアの民謡ではイマ・スマックのような高い声も出していた。笹久保伸がギターでゲスト参加した「羊飼い」とアタウアルパ・ユパンキのサンバの曲はなかなかディープだった。
 後半はブラジルのミナス・ジェライス出身のピアニスト/歌手アントニオ・ロウレイロが日本人とのスペシャル・バンドで登場した。ジャズやクラシックの要素もある彼の音楽は、ショーロ/サンバ/ボサノヴァの延長線上にあるリオの音楽とくらべると、音楽の構造が流動的。エグベルト・ジスモンチやウアクチなどに連なる音楽家という気がした。のどの調子がいまいちなのか、声がときどき割れたが、CDから想像していたより情熱的にうたう人だった。佐藤芳明(アコーディオン)、鈴木正夫(ベース)、芳垣安洋(ドラム)ら日本側のミュージシャンの演奏も素晴らしかった。
 ユーカンダンツとアントニオ・ロウレイロについては『intoxicate』に記事を書く予定。

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June 16, 2013

えぐさゆうこ江草啓太、荻野やすよし、南蛮ムジカ

2013/6/13(木)

 10日に藤登紀子のTokiko's Barのライヴでピアノを弾いていた江草啓太さんに招かれて、夜、下北沢のシードシップのえぐさゆうこ江草啓太の「シマの室内楽」のライヴへ。はじめて行った会場は、下北沢の南口繁華街のはずれのあたりのビルの3階にある小ぶりのイベント・スペース。
 屋久島にゆかりのある愛媛出身のえぐさゆうこが屋久島や奄美の歌などをうたい、ときに三味線も弾き、江草啓太がピアノで彩りをつけ、曲によって奄美の竪琴を弾く。ゲストで向島ゆり子(ヴァイオリン)と橋本歩(チェロ)が参加。島唄をうたっても伝統的ではない歌声に洋楽器の伴奏をつけることで、三味線だけの島唄とは異なる味わいが。屋久島の子守唄「まつばんだ」が印象的。


2013/6/12(水)

 夜、祖師谷大蔵のカフェ・ムリウイでギタリスト荻野やすよしのライヴ。ガット・ギターとエレクトロ・アコースティックを使いわけて、繊細なギターを弾く人。彼のグループ「音・人・旅」のメンバーのうち谷殿明良(トランペット)と平山織絵(チェロ)が参加。かなり即興もあるようだが、曲も演奏も穏やかなものが多いせいか、ジャズと映画音楽の中間のような感じ。奈良の燈花会をモチーフにした曲やアフリカのマリの楽器コラのフレーズに刺激された曲などもやった。3人では物足りないと思う瞬間があったり、3年前のアルバム『Tinga Tinga Japonisme』ではなめらかなフュージョンに聞こえた「かごめかごめ」が音数を少なくしたことでかえって新鮮に聞こえたり。音楽は生き物だ。


2013/6/8(土)

 夜、本郷の求道会館で『南蛮ムジカのオルフェオ』のコンサート。求道会館は古い洋館の雰囲気を残して建て替えた真宗大谷派の説教のための施設だが、二階建ての劇場のような作りなので、ときどきコンサートにも使われている。
 出演は辻康介(歌)、根本卓也(チェンバロ)、佐藤亜紀子(リュート、バロック・ギター)。ゲストで安田登(能楽師・ワキ)、槻宅聡(能楽師・笛)。合唱指導で南方隼紀。冥界に妻を取り戻しに行くオルフェの物語と、亡霊話の多い能の語りを組み合わせる発想がおもしろい。狂言回し的な語りの説明をおさえて、舞を増やすなど、今後さまざまな工夫が考えられる組み合わせだと思う。歌はイタリア古楽曲。

March 11, 2013

マレウレウ、馬喰町バンド、きたやまおさむ、坂崎幸之助、松山猛、『カウラの班長会議』

2013/3/10(日)

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 夜、馬喰町ART+EATの馬喰町音楽会vol.2へ。会場の馬喰町ART+EATは馬喰町の一角、新しいお洒落なビルと古いビルが混在する横丁の古いビルの2階にあるカフェ・ギャラリー。このシリーズのホスト役は馬喰町バンドで、今夜のゲストはマレウマウ。
 馬喰町バンドは、伝統的な音楽とは無縁にファミコンやメロコアで育った世代の若者たちのトリオ。インスト・バンドとしてはじまったが、アフリカのピグミーの音楽などポリリズミックな音楽が好きになって、日本のわらべ唄などに取り組むようになった、というふうに自分たちの音楽を説明していた。
 後半はアイヌの女性4人組マレウレウ。NO NUKES 2013 のために東京に来ていたのでライヴが実現したそう。彼女たちの歌は短いフレーズの反復だけで成り立っている。伴奏のOKIもトンコリを叩いてリズムをとるだけの曲が多い。しかし異なるフレーズを同時にうたったり、ウコウク(輪唱)したりすることで、かぎりなく複雑な声の宇宙を生み出していて、どこか遠い世界に運ばれて行きそうになった。リーダーのレクポはムックル(口琴)の演奏も聞かせたが、口を共鳴に使うと同時にムックルと別のフレーズも出す高度なもの。OKIは「サハリン・ロック」をトンコリで弾き語りした。アンコールでは馬喰町バンドがマレウレウのバックをつとめた。

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2013/3/9(土)

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 午後、渋谷公会堂の「きたやまおさむ アカデミックシアター 加藤和彦物語」へ。きたやまおさむと坂崎幸之助がおしゃべりしながら、かつてきたやまや加藤和彦が結成していたフォーク・クルセダーズの話を語ったり、曲をうたったりした。途中でオリジナル・メンバーの平沼義男、「帰って来たヨッパライ」や「イムジン河」を作詞した松山猛、アマチュア時代から大阪のジャズ喫茶ナンバ一番などで顔見知りだったファニーズ(ザ・タイガース)の瞳みのるなどがゲストで登場。
 松山猛は、朝鮮学校の生徒との争いを止められないかと、サッカーの交流試合を申しこみに行ったときに、女生徒たちがうたっている「イムジン河」を聞いて覚えて帰った話をしたが、「イムジン河」は実はいまここにもあるのではないかという話に、彼の一貫した姿勢を感じた。
 加藤和彦が亡くなった後、片付けられた彼のスタジオの部屋の壁にアマチュア時代のフォークルのステージ写真だけが残されていたという話をしたとき、きたやまおさむは口ごもったように見えたが、プロのエンタテインメントの世界とアマチュアの音楽活動の関係を考えさせられる、せつない思いの伝わる一瞬だった。
 夜、下北沢のザ・スズナリで燐光群の『カウラの班長会議』を観た。第二次世界大戦下のオーストラリア、ニューサウスウェールズ州カウラの捕虜収容所から多数の日本兵が脱走し、2百名を越える死者が出た。その事件をもとにした芝居だ。
 比較的恵まれた捕虜生活を送りながら、「生きて虜囚の恥をさらすな」という命令の呪縛から逃れられず、脱走するにいたる日本兵たちの心理の変化と、その事件をもとにした映画を作るためにカウラを訪れた現在の映画学校の女性たちの行動が交錯する。日本兵たちの言動は、福島の原発事故に対する政府や関係者・・・の反応に重なり合うようにも聞こえる。38名もの出演者が狭い収容所の部屋を出入りする、動きの多い、力のこもった芝居だった。劇の後、作者の坂手洋二とロジャー・パルバースのトークが行なわれた。そこでも原発事故に対する政府や関係者の対応が引き合いに出されていた。
 帰りにいーはーとーぼに寄って、店主の今沢裕さんを表敬訪問。短編映画に俳優として出た話などをうかがった。


March 02, 2013

ローラン・ヴァン・ランカー『Surya』、エイダン・オルーク/LAU、『エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ』、川内有緒『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』

2013/2/27 (水)

 夜、明治大学野生の科学研究所で行なわれた『めぐりゆく神話:映像人類学の可能性』でローラン・ヴァン・ランカーの『Surya』を見て、質疑応答のセッションを聞く。
 『Surya』は、映像と人類学を学んだベルギーのローランが8か月をかけてユーラシア大陸を陸路で移動しながら、各地の語り部・ミュージシャンと出会って作り上げた神話作りの映像。
 彼は各地で出会った語り部に、名前のない架空の英雄の物語りを語るように依頼する。ベルギーからヴェトナムまでの間には、トルコのババズーラのようにぼくの知っている人たちも登場するが(映画『クロッシング・ザ・ブリッジ』のパロディのような映像)、他は知らない人ばかりだ。インドの「マハーバーラタ」の物語や、ネパールの「レッサム・フィリリ」のような民謡も、その神話作りに関わってくる。インドでは名前がなかった英雄にスリヤ(太陽)という名前が与えられる(この場面はすごい)。
 神話生成の過程を追う過程も神話であるような、フィクションとドキュメンタリーがメビウスの輪のようにつながった一種のメタ作品であり、『Surya』自体が映像人類学の研究対象になりそう。
 映像上映の後、仲野麻紀が神話の語りを引き継ぐ形でサックスの即興演奏を行ない、質疑応答の後、会場にいた松田美緒、渡辺亮に仲野麻紀も加わって、再び即興のライヴが行なわれた。


2013/2/26 (火)

 朝、神宮前のプランクトンのスタジオでスコットランドのエイダン・オルークの取材。彼はラウーのリーダー。ラウーはBBCラジオ2のフォーク賞で毎年のようにベスト・バンド賞を受賞している。新作『レイス・ザ・ルーザー』について話を聞く。このアルバムのプロデューサーはマイ・モーニング・ジャケット、スフィアン・スティーヴンス、ディセンバリスツ、REMなどロック系の仕事が多い売れっ子のタッカー・マーティン。

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 夜、東中野のポレポレ坐の『エンサイクロペディア・シネマトグラフィカを見る2 アフリカの音楽と芸能』のゲストに招かれて、芸術人類学者の石倉敏明、映像人類学者の川瀬慈両氏とのトークに参加。
 『エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ』はドイツ国立科学映画研究所が1951年からはじめた映像百科で、2000以上の映像記録が残っている。その中から「アボメーの宮廷の王妃たちの踊り」(ベナン、1958年)、「楽弓の演奏」(コートジヴォワール、1968年)、「軍楽オーケストラ トゥル」(コートジヴォワール、1968年)、「トランスダンスを伴う病気治療」(カラハリ砂漠、1976年)が上映された。王妃たちの踊りは音が入っていないが、いずれも素晴らしい映像。
 後半は分藤大翼の『イェリ』『水太鼓』と、川瀬慈の『ラリベロッチ・終わりなき祝福を生きる』『ドゥドゥイエ』が上映された。
 前2作はカメルーンのバカ・ピグミーを記録した近年の映像で、短いがとてもきれいな映像。この種の音は聞いたことがあるが、映像で見れたのがうれしかった。なお、3月9日まで馬喰町ART+EATでは、分藤大翼の『アフリカ、森の民の音楽と食事』展が行なわれている。
 後2者はエチオピアの映像で、門付け芸人夫妻ラリベロッチのたくましい日常を描いたものと、セクシャルな歌で議論を巻き起こしているアズマリ(やはり音楽を職業とする人たちだが、都市の酒場でよりポップな音楽をやっていて、近年は欧米にもけっこう進出している)のライヴ映像。ジャズ/ワールド・ミュージックの周辺で国際的に注目を浴びているエチオピアの音楽の現地の生映像はインパクト大。
 しゃべりに行って仕事をしたというより、はるかに多くのものを教わった一夜だった。

2013/2/23 (土)

 川内有緒の『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』(幻灯社)を読了。
 著者はパリで国連につとめているとき、出張したバングラデシュで、役人に話を聞かされた放浪の楽士バウルのことが気になって、退職後、実際に会いに出かけた。その旅の話をまとめた本だ。
 著者は音楽の専門家ではないので、バウル入門みたいな本ではないが、日本でバウルについて書かれた最も詳しい本であることはまちがいない。ユネスコの無形文化遺産にも登録されているバウルがバングラデシュの社会でどのような位置を占めているのかがよくわかる。バウルの歌の哲学的、詩的な深さもよくわかる。そして、旅行記として楽しく読める。
 なお、ボブ・ディランの『ジョン・ウェズリー・ハーディング』のジャケットには、プルナ・ダス・バウルという有名なバウルが写っている。バウルの天才ラロンの歌をうたったフォリダ・パルビーンのアルバム『鳥はいつ飛んでいってしまうかわからない』は日本盤が出ている。彼女はバウルではないが、この本でも詳しく紹介されており、国際交流基金の招きで来日したこともある。

November 24, 2012

シェウン・クティ、パブロ・シーグレル、笹久保伸

2012/11/22(木)

 夜、渋谷のサラヴァ東京で、笹久保伸のアルバム『翼の種子』発売記念の2回目のライヴ。二部の頭ではペルー出身のイルマのケチュア語の歌なども加わる。笹久保伸はペルーでフォルクローレのギターを学んだ人だが、イルマがうたった後、「本物がうたった後で、自分はどうすればいいのか迷う」というような意味の発言をしていた。外国の音楽にひかれて音楽をやっている人に共通する悩みを、彼のような名手も感じているわけだ。
 この夜も久保田麻琴がPAを担当していた。いちばん後で聞くと、ガット・ギターの音がエレクトリック・ギターのように聞こえたが、途中で真ん中あたりに席を変えたら、とても自然な音に聞こえ、PAの状態でこうまで音が変わるのかと驚いた。


2012/11/21(水)

 夜、有楽町の朝日ホールでパブロ・シーグレル・ミーツ・トーキョー・ジャズ・タンゴ・アンサンブルのコンサート。パブロ・シーグレルはアストル・ピアソラ五重奏団を支えたアルゼンチン・タンゴのモダンなピアニスト。日本側のメンバーは鬼怒無月(ギター)、北村聡(バンドネオン)、西嶋徹(コントラバス)。最初しばらくはおとなしい演奏に聞こえたが、途中からノリがよくなり、現在進行形のタンゴを気持ちよく体験できた。鬼怒無月の多彩なギターがアンサンブルを支えているのが印象に残った。


2012/11/20(火)

 夜、渋谷クアトロでナイジェリアのシェウン・クティ&エジプト80のライヴ。フジ・ロックでの評判もあるのか、会場は満員。最初バンドだけで演奏した曲はゆるい感じがしたが、シェウンが登場して父親の名曲「ゾンビー」がはじまったとたん、一気に緊張感が高まる。ブライアン・イーノがプロデュースした曲は、やや落ち着いた演奏だったが、最後まで濃密な演奏を展開した。トニー・アレンのような名人はいないが、ギタリストをはじめ、力のあるバンド。打楽器奏者がまたがって極太のバチで叩く太鼓がバスドラやベースと重なるときのドライヴ力がすごかった。今年見たライヴではいちばんか。

November 05, 2012

マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル、山下洋輔、坂東玉三郎、トクマルシューゴ他

2012/11/3(土)

 夜、江戸川橋のトッパンホールでアイルランドのマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルのコンサート。尺八の田辺冽山のソロ演奏の後、二人きりでステージを淡々とこなす。もっと小さなスーペースでのこれまでの来日公演とちがって今回はホール公演。いつも以上に抑制のきいた演奏という印象を受ける。
 とはいえアンコールの前にやった長いメドレーなどでは、トリルと低音の持続音を自由にあやつるマーティン・ヘイズのフィドルに脱帽。デニス・カヒルのギターも、シンプルきわまりないのに、デリケートなグルーヴがあって味わい深い。ギミックなしのアイリッシュ・フォークを満喫。


2012/11/1(木)

 青山一丁目のユニバーサルで、ソロ・ライヴ・アルバム『スパークリング・メモリーズ』を出す山下洋輔の取材。直前にレコード会社のスタッフから叙勲の知らせを教わったが、あらためて彼が背負っているものの大きさを感じる。


2012/10/29 (月)

 原宿のヴェイカントでブラジルのトゥリッパ・ルイスのライヴ。


2012/10/27(土)

 午後、堺市のサンスクエアホールで『第4回堺古楽コンサート 「黄金の日々・堺」とルネサンス音楽」を聞く。出演はアントネッロ、彌勒忠志、高本一郎。
 前半は「天正遣欧使節の音楽」をテーマにアントネッロの同名のコンセプト・アルバムの世界を凝縮したような世界が展開された。中世ヨーロッパのキリスト教会の音楽が日本のわらべうたなどにその痕跡をとどめているのでは、という話は、証明できないとしても、さまざまな想像をかきたてる。
 後半は「17世紀のイタリアのヒットソング」と題して、モンティヴェルディやフレスコバルディの曲などが演奏された。カンタータ「簒奪者にして暴君」ではアントネッロの演奏と彌勒忠志の歌声がダイナミックなグルーヴを生み出してスリル満点だった。


2012/10/26(金)

 夜、下北沢のラカーニャで今井忍+ロケットマツのライヴ。


2012/10/20 (土)

 午後、赤坂のACTシアターで坂東玉三郎の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を見る。幕末の横浜の遊郭を舞台にしたせつない物語。中で幕末期の「かわらばん」の情報操作の話が出てくるが、近年の報道を見るかぎり、いまのマスコミも基本的には何も変わってないと思う。三味線の響きが色っぽい。


2012/10/17(水)

 午後、渋谷のPヴァインで新作『イン・フォーカス?』を完成したトクマルシューゴの取材。彼の音楽作りの考え方を中心に話を聞く。世界各地のアコースティックな楽器をたくさん使った『イン・フォーカス?』は、ポップ・アルバムとしても、実験的な作品としても、聞きごたえのあるアルバムに仕上がっている。


October 03, 2012

『ERIS』『トゥーマスト ギターとカラシニコフの狭間で』

2012/10/3 (水)


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 ぼくも原稿を書かせてもらい、編集協力している音楽雑誌『ERIS』が本日創刊されました。
 この電子書籍は、登録すれば、ウェブでどなたでも無料で読むことができます。
 以下はプレスリリースの引用です。


エリス メディア合同会社(本社:東京都渋谷区、代表社員:土田 真康)は電子書籍版の新音楽雑誌「ERIS/エリス」を10月3日より発行します。
タイトル :ERIS/エリス( http://eris.jp )
発行日 :2012年10月3日(季刊で年4回発行予定)
発行場所 :web サービス「BCCKS」( http://bccks.jp/ )で公開
編集人 :高橋健太郎
コンセプト:音楽は一生かけて楽しもう

【主な特徴】

1、大きな魅力のひとつは強力な執筆陣です。
編集人に音楽評論家の高橋健太郎を迎え、北中正和、ピーター・バラカン、磯部涼、藤川毅などの個性豊かな音楽評論家が各人の知見と感覚をベースに音楽や音楽家を語ります。
興味深い執筆者としては『原発危機と「東大話法」』がベストセラーとなった東京大学教授の安冨歩がマイケル・ジャクソンの思想を語ります。また全く新しい執筆者も開拓、登場するのでご期待下さい。
さらに本書は通常の音楽雑誌が扱うような新譜情報やライブ情報などは掲載しません。各執筆者が日頃のライフワーク的研究成果を一般雑誌では不可能なヴォリュームで発表します。次代の音楽論・文化論のプラットフォームとなりえる雑誌を目指します。

2、もうひとつの魅力は、「ERIS」はフリー(購読料が無料)で、興味のある人は誰でも読むことができることです。無料のため、より多くの人に読んでもらい、楽しんでいただくことが可能です。メールアドレスで会員登録( http://eris.jp/ )した読者は、電子書籍を読むことができます。登録読者には発行の度にお知らせとパスワードが送られるシステムを予定しています。
本書は「誰でも本を作ることができるBCCKS(ブックス)」というサービスを使い、きれいな縦書きで作成しています。電子書籍は紙の雑誌と違い、スマートフォン、タブレット、PCなどでいつでもどこでも入手でき、手軽に読めます。まだ未知数の媒体ですが、「ERIS」のアイデアと内容はたくさんの読者を集められると確信しています。


 以上引用終了。
 ぼくも申し込んでみました。

2012/9/30(日)

 午後、市ヶ谷のセルバンテス文化センター東京のホールでスイスのドミニク・マルゴー監督の『トゥーマスト ギターとカラシニコフの狭間で』を見る。第7回UNHCR難民映画祭の上映作品。
 映画はフランスに亡命したマリのトゥアレグ(タマシェク)のグループ、トゥーマストを追う部分と、マリやニジェールやリビアなどにおけるトゥアレグ(タマシェク)の現状を追う部分が重なりあって、とてもわかりやすいドキュメンタリーになっている。音楽の演奏部分もほどよくある。
 トゥアレグ(タマシェク)から奪われたニジェールの土地はウランの産地で、そこに外国の資本がからんでいるという指摘もあったが、そのウランはどこに買われて行っているのだろう。
 この映画祭では東日本大震災の被災地をテーマにした作品も上映される。難民というと、遠い外国の話と思いがちだが、原発の避難民はまさに難民。映画祭は8日まで行なわれている。





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May 20, 2013

バラケ・シソコ、『25年目の弦楽四重奏』、トルコ軍楽隊、サブリナ・ヘルシュ、コシミハル、ピエール・バルー、『天文館物語』

2013/5/19(日)

 午後、ヨコハマ創造都市センターの1階でマリのバラケ・シソコのコンサート。ひょうたんハープ、コラの美しい響きをたんのうする。ネックは代々受け継いできた90年もののローズウッド。共鳴胴のひょうたんに張る皮を手に入れるには、生きている牛を買って、肉を知り合いに分けるという話をしていた。


2013/5/17(金)

 午後、飯田橋の角川映画の試写室でヤーロン・ジルバーマン監督のアメリカ映画『25年目の弦楽四重奏』を見る。病気を宣告されたリーダーが引退を決意し、かわりのメンバーを提案した後、25年間活動を共にしてきた弦楽四重奏団のメンバーの間に亀裂が走りはじめる。それからリーダーの最後のコンサートまでの人間模様が小気味よいテンポで描かれる。演奏されるのはベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番。深まりすぎないわかりやすさがアメリカ映画らしい。
 夜、恵比寿のアートカフェ・フレンズで大島花子+笹子重治のライヴ。端正なおしゃべりと歌声で、父坂本九の歌からオリジナルまで、幅広いレパートリーを披露。途中、母の柏木由紀子と妹の舞坂ゆき子が参加して、客に手話を教えながら「上を向いて歩こう」をうたった一幕も。さだまさしや南こうせつがうたいそうな父の自作曲「親父」をギター伴奏だけでさらっと聞かせたのが印象的だった(坂本九のヴァージョンはストリングスが入ったポップなアレンジ)。


2013/5/15(水)

 夜、早稲田の大隈講堂でトルコの軍楽隊のコンサート。濱崎友絵さんの解説の後、軍楽隊は赤や緑の派手な衣装で演奏しながら、客席を練り歩いて入場。ズルナ2人、太鼓3~4名、シンバルなど、ごく少ない楽器編成なのに、けたたましい音が鳴る。テレビドラマ『阿修羅のごとく』に使われて知られるようになった「ジェッディン・デデン」(祖先も祖父も)まで10曲ほどを演奏し、「ウスクダラ」を演奏しながらやはり客席を通って退場していった。その後、早稲田大学応援団のブラス・バンドと2曲を共演。応援団のメンバーには女性のほうが多い。
 オスマン・トルコの軍隊に侵略されたヨーロッパの人々にとって、この軍楽隊の演奏はさぞかしいやな音だったことだろう。ぼくがいいなあと思っていた「ジェッディン・デデン」も、歌詞はえらく好戦的で、まいったなあという感じ。しかし戦争から百年も経過すると、ヨーロッパではトルコ風の音楽がもてはやされたというから、感覚は状況の影響を受けやすいということか。トルコの音楽の影響例としてモーツァルトの「トルコ行進曲」はよく知られているが、ベートーヴェンの「第九」の合唱にもその影響があると表示されていたのには驚いた。あの大仰さがそうなのか、細部に具体的な影響があるのか。いずれにせよ、自分の音楽の聞き方が時代の制約を受けていることを忘れてはならないことをあらためて教わった気がする。

2013/5/12(日)
 
 夜、吉祥寺のcopo do diaでサブリナ・ヘルシュのライヴ。小ぢんまりとしたカフェ・レストランはおなじみらしいお客さんでいっぱい。日本人のギター奏者、サックス奏者、パンデイロ奏者がサポートして、ブラジルのスタンダードや日本語の歌を聞かせた。明るい声とリズムが気持ちいい。「小船」の日本語ヴァージョンが素敵。


2013/5/10(金)

 午後、渋谷東急インで大野宏さんと歓談。新聞記者時代にお世話になった大野さんは、友人のコシミハルさんの新作『Madare Crooner』のプロモーションをボランティアで手伝っているとのことで、CDRをいただいた。アメリカの古いスタンダード「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス」やフランスのシャンソン「聞かせてよ、愛の言葉」やオリジナル曲を楽器の音にこだわった演奏でうたっている。ひそやかでていねいな歌声。演奏者はフェビアン・レザ・パネ(ピアノ)、渡辺等(ベース)、エリック・ミヤシロ(トランペット)、今堀恒夫(ギター)ほか。
 夜、渋谷サラヴァ東京でピエール・バルーのライヴ。彼のライヴはいつも客間でのんびりくつろいだ感じで進むことが多く、よく言えば自由、ともすれば散漫になりがちだが、この夜は通訳の敦子夫人が脱線するピエールを引き戻し、ほどよいテンポでく進んだ。立ち姿も一時期より元気だった。後半では小野リサとブラジル人ギタリストもゲスト参加。演奏は鶴来正基(ピアノ)、吉野弘(ベース)、ヤヒロトモヒロ(打楽器)。


2013/5/5(日)

 枕崎のかつお祭りで、鹿児島市からやってきた宮園夫妻、清水さん、勝久さん、地元の的場夫妻と落ち合って、かつおをふんだんに使った船人めしをいただき、お祭りを見物した後、海岸や平和祈念展望台を散策。
 清水さんが文章を書き、一昨日会った浜地克徳さんが絵を描いた『大人のための絵本 天文館物語』は、鹿児島の繁華街を飲み歩いた本。街の物語はこんなふうにして伝えられ、つけ加えられていく。


2013/5/3(金)
 
 午後、姶良市蒲生の茶廊Zenzaiで店主の浜地克徳さんに会う。大阪出身の浜地さんは農業をやりたくて勤めをやめて鹿児島に移り住み、いまは蒲生で絵を描いたり教えたりしながら。NPO法人Lab蒲生郷(カモコレ)の理事もつとめ、移住者の視点で蒲生をおもしろくしようとしている。


April 27, 2013

『レミング』、内橋和久、田端義夫、クロード・フランソワ、『最後のマイ・ウェイ』、氷川きよし、歌舞伎座

2013/4/26(金)

 午後、渋谷パルコ劇場で「レミング~世界の涯まで連れてって~」を見る。作・寺山修司、演出・松本雄吉、音楽・内橋和久、出演八嶋智人、片桐仁、常磐貴子、松重豊ほか。品川で暮らす料理人の見る夢をとおして都市にまつわる幻想が、重層的に描かれる。20世紀前半の東京や上海のようでも、精神病院のようでも、映画のようでもある世界。舞台脇でギターなどを弾いた内橋和久の音楽も素晴らしい。

2013/4/25(木)

 午後、田端義夫の訃報(享年94)。最後まで映画『オース! バタヤン』の公開を楽しみにされていたそう。合掌。


2013/4/24(水)

 午後、市ヶ谷のシネアーツ試写室で『最後のマイ・ウェイ』を見る。フランク・シナトラで知られる「マイ・ウェイ」の原曲「コム・ダビチュード(いつものように)」の歌手・作者クロード・フランソワの伝記映画。
 クロードはエジプトで生まれた。父親はパナマ運河を管理する裕福なフランス人。しかしナセルが運河を国有化したため一家は没落してモナコへ。
 下積みのバンドマンから人気歌手へ、人気者としての過酷な毎日、業界の現実、家族とのあつれき、そして不慮の死………。子供を抱いて「ドナ・ドナ」を口ずさんだり、アメリカの曲をカヴァーしたり、オーティス・レディングのコンサートを見に行ったりと、音楽的な話題も豊富で、たくさんのエピソードをバランスよくまとめて見応えのある作品に仕上げてある。


2013/4/22(月)

 午後、虎の門の日本コロムビアで氷川きよしの取材。
 夜、渋谷映画美学校の試写室で田村孟太雲監督の『オース! バタヤン』を見る。
 バタヤンこと田端義夫の第二の故郷、大阪市の鶴橋でのコンサートのライヴ映像を紹介しながら彼の歩みをたどったドキュメンタリー映画。
 いつもエレクトリック・ギターを抱えて「オース!」と叫びながら舞台に登場してくる田端義夫は、子供のころのぼくには謎の存在でしかなかった。しかも彼のギターは、アメリカやイギリスのロックやフォークに夢中だったぼくには、かしまし娘のギター同様、とても古くさいものに思えた。
 その印象がすっかり変わったのはレコードで「ズンドコ節(街の伊達男)」をあらためて聞いてからのことだ。詳しい話はかつて『ギターは日本の音楽をどう変えたか』という本に書いたので省くが、この映画は彼のギターのおもしろさと、第二次世界大戦中から戦後にかけての世相と音楽の関わりにうまく焦点が当てられ、無類の女性好きとしてや反戦者としての彼の側面も紹介されている。鶴橋のお客さんたちの反応も熱い。欲を言えば、韓国系の人が多い鶴橋という町の特徴にも少しはふれてほしかった。
 主題歌がザ・バンドによるクラレンス・フロッグマン・ヘンリーのニューオーリンズR&Bのカヴァー「エイント・ガット・ノー・ホーム」というあたりも渋い。なにしろ監督名がタムラ・モータウンですから……。
 なお、この映画にはぼくもちょこっとだけ、コメントで出演している。映画初出演。試写室で見て、冷や汗が出た。


2013/4/21(日)

 夜、改築された歌舞伎座へ。6時からの第三部の公演。「盛綱陣屋」と「勧進帳」の2本を見る。(詳細は後日)

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April 16, 2013

白崎映美&とうほぐまづりオールスターズ、ソン・ソンムク、ヘレン・メリル

2013/4/12(金)

 夜、外苑前の月見ル君想フへ。白崎映美&とうほぐまづりオールスターズの「オラは歌うぞ、みな踊れ~! とうほぐまづりだ~」を見る。震災支援活動の場で山形出身の白崎映美と福島出身の小峰公子が話し合って構想1年半。時熟れて実現したライヴだ。
 他の出演者は向島ゆり子(ヴァイオリン)、星衛(チェロ、笛)、小峰公子(ヴォーカル、アコーディオン)、服部夏樹(ギター)、西村直樹(ベース)、山口とも(ドラム、アヒル)、岡田修(津軽三味線)、クラッシー、江野尻友宏(パカッション)。ゲストで梅津和時(サックス)、多田葉子(サックス)、クンクンニコニコ帝国(ブラスバンド)といった人たち。
 照明が落ちるとメンバーがお囃しを奏でながら2階の客席から階段を降りてきて、アリーナを通って舞台へ。真っ赤な「偽ナマハゲ」の衣装を着た白崎映美のおしゃべりは、上々颱風以来の絶妙の間合い。東北の天災と人災を目の当たりにして、本能的に「うたうしかない」と感じた人たちによる歌と演奏は、あるときは激しく情熱的、あるときはしんみりとして優しい。その楽しさの中に「オラがだの先祖はまづろわぬ民だ」という反骨精神が含まれている。オリジナル曲やカバー曲だけでなく、小峰公子と白崎映美による「新相馬節」や岡田修の津軽三味線伴奏でうたった白崎映美の民謡のポップな感覚も印象的だった。
Photo
©lisa

2013/4/11(木)

 南空空さんのお誘いを受け、夜、吉祥寺の中清で、韓国の宋性黙(ソン・ソンムク)のパンソリを聞く。会場は30余名の客ではちきれんばかり。韓国側の阿園工房のスタッフによるおいしい手料理をつまんで一杯やりながら開演を待つ。
 最初にソン・ソンムクによる横笛テグンの演奏があり、続いてパンソリがはじまり、途中、太鼓伴奏者のパク・クンジョンによるアジェン(小型の箏)のソロがあり、再びパンソリに戻って、最後は民謡というプログラム。
 修行でわざとノドをつぶしたハスキーな声で、ソン・ソンムクはダイナミックに語るような歌をうたい続ける。伴奏は太鼓と、ときおりのかけ声のみ。主な演し物は身分ちがいの恋をテーマにした「春香伝」の物語だ。
 言葉のわかるお客さんは、あるときは息をひそめるように、あるときはゲラゲラ笑い転げながら聞いている。客席からばんばんかけ声も飛ぶ。民謡の「珍島アリラン」では客席と一体となっての大合唱。
 ぼくはこれまでパンソリはテレビやCDでしか聞いたことがなく、抒情的な場面とノドから声をしぼり出すような激しいうたい方の組み合わせの謎も含めて、芸術的な古典芸能だとばかり思っていたが、飲み食いしながら緩急自在に進行するこの日のライヴに接して、印象ががらりと変わった。
 まだ大阪に文楽専門の朝日座があったころ、お婆さんのお客さんたちが、弁当やおやつを飲み食いしながら悲劇を見た後、「ああ、今日は、せんど笑わせてもろた」と言い合って帰って行った光景を目撃したときのことを思い出したりもした。
不勉強で両者の関係についてはよく知らないが、太鼓の叩き方に河内音頭そっくりの部分があったのもおもしろかった。


2013/4/9(火)

 夜、表参道のブルーノート東京でヘレン・メリルのライヴ。演奏は佐藤允彦(ピアノ)、加藤真一(ベース)、村上寛(ドラム)。スペシャル・ゲストが山本邦山(尺八)。
 佐藤允彦トリオの演奏ではじまり、スペシャル・ゲストの山本邦山が加わって2曲演奏した後に、ヘレン・メリルがおもむろに登場。「サマータイム」「枯葉」「バイ・バイ・ブラックバード」「セント・ルイス・ブルース」「帰ってくれたら嬉しい(ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ)」などをうたった。
 彼女は佐藤允彦や山本邦山とは古くから共演してきており、最近、96年の公演『ウィズ・フレンズ・イン・八千代座』もCD化されている。歌声は高齢なりのものだったが、雰囲気作りはさすが。あまり即興ではなさそうだったが、山本邦山の尺八も見事だった。


March 15, 2013

NHKFM『ワールド・ミュージック・タイム』

2013/3/15(金)

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 午後、2000年(その前の『ポップス・グラフィティ』も含めると1998年)から続けてきたNHKFMの番組『ワールド・ミュージック・タイム』の最後の録音を終える。
 その間、キューバのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのブームにはじまり、バルカンやトルコのロマ/ジプシーの音楽、地中海各地の音楽、サハラ砂漠周辺の音楽、中南米/カリブ海各地の音楽、アフロ・ビートやエチオピアン・ジャズなど、目の離せない動きが次々に同時多発的に起こった。近年は国境やジャンルを越えたコラボレーションや、クラブ系のダンス・ミュージックとの融合もさかんに行なわれている。
 行ったことのない国や地域の音楽が多いので、そのつど世界地理や世界史の本を引っ張り出して読んだのも楽しかった。そして音楽の伝統を受け継ぐとはどういうことか、あるいは革新するとはどういうことか、学ぶこと考えること感じることの連続の十数年だった。リスナーのみなさんからのお便りから教わったことも多かった。学生時代ににはこんなに勉強しなかったような気がする。
 選曲には自信があったが、おしゃべりは、ぼそぼそして聞きにくいという意見と、落ち着いて聞けるからいいという意見が半ばし続けた。いずれにせよ長期間つたないおしゃべりを許していただいたNHKとリスナーのみなさんに深く感謝したい。
 番組はあと2回(再放送2回)放送される。

 「21世紀の名曲を探して」
 18日(月)午前0時から、つまり日曜日の深夜12時から
 再放送は25日午前10時から
 21世紀の新曲だけでなく、古い曲がこの十数年でどんなふうに変貌してきたのか。何でもありにするとまとめるのが難しいので、原曲とは異なる地域のアーティストがカヴァーしているもの、もしくはコラボレーションしているものというくくりで曲を選んだ。
 オマーラ・ポルトゥオンドによるアンリ・サルヴァドールの曲、メルセデス・ソーサとミルトン・ナシメントによるシルビオ・ロドリゲスの曲など、詳しくはNHKオンラインのFMの番組表やワールド・ミュージック・タイムのサイトに。

 「ニュー・ディスク&リクエスト」
 25日(月)午前0時から
 再放送は4月1日(月)午前10時から
 ゴタン・プロジェクトのフィリップ・コーエン・ソラールのプロデュースしたサリフ・ケイタの新作からフィーチャリング・エスペランサ・スポルディングの曲、ロクア・カンザが日本語まじりでうたう曲、エレクトロニックな要素を強めた英フォーク界最強の3人組ラウーの曲などをご紹介。


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