音楽歳時記 3 ハナミズキ
80年代に東京の武蔵野市に住んでいたころは関心を持っていなかったのだが、同市には3つの市民の木があって、そのひとつがハナミズキ。4つの小舟が寄り添うような可憐な形のこの花は色も優美で、初夏に欠かせない花木だ。ただし花に見える部分は、実際はアジサイなどと同じく花弁ではなく総苞らしい。アメリカヤマボウシという和名もあるが、あまり使う人がいなくて、ハナミズキという名前が定着している。
武蔵野市のサイトを見ると「アメリカのワシントン市から旧東京市に贈られたものが井の頭公園に植えられ広まりました。春の花、秋の紅葉、ともに美しい木です」と説明されている。
東京から桜の花を贈った返礼としてワシントンから60本の苗が届いたのが1915年。それが都内の植物園や公園に分植されたのが日本におけるハナミズキ栽培の記録のはじまりだ。寄贈された苗で現存するのは都立園芸高校の1本だけらしいから、いまの井の頭公園のハナミズキは、代替わりした子孫なのだろう。春には桜の名所としてにぎわうこの公園、いつか再訪するときにはハナミズキも眺めてみたい。
NHK放送文化研究所の「日本人の好きな木のランキング」によれば、1983年の調査の20位以内にハナミズキは入っていなかった。しかし2007年の調査では桜、梅、竹、松に続いて5位に躍進している。めざましい人気上昇ぶりだ。たしかに昔にくらべると、近年は街や庭でハナミズキを見かける機会が増えたように思う。
それに加えてこの調査結果には、2004年に発表され、スタンダード化した一青窈の「ハナミズキ」の影響もあったのではないだろうか。
この歌のことをぼくは長い間、単なるラヴ・ソングだと思っていた。いつも歌詞の文脈をたどりきれないまま聞いて、「君と好きな人が百年続きますように」という部分が印象に残るものだから、そう思いこんでいたのだ。
しかしあらためて歌詞を見ると、「僕」という主人公が誰で、語りかける相手の「君」が誰なのか、「僕」は何を我慢するのか、「果てない夢や波」とは何なのか、などなど、実はわからないことだらけだ。主人公が「水際まで来てほしい」と言っている対象についても曖昧だ。だが、それゆえ聞き手の想像や思い入れを誘う余地があるとも言える。
一青窈はインタビューでは、9.11の同時多発テロで「(世界貿易センタービルのタワーが崩壊していく)衝撃的な映像を見て約20分で歌詞を書きました」と説明している (『産経新聞』2015年7月24日)。事件直後にメールをくれたニューヨーク在住の友人とその恋人の幸せを願って生まれたとも。
だからといってこれはその事件についての歌ではない。当初は事件を思わせる言葉が使われていたが、発表するまでに推敲で消された。描かれている季節も9月ではなく、ハナミズキにふさわしい5月や夏だ。
一緒に渡るには船が小さすぎるから先に行ってくれという暗示的なくだりが出てくるが、それは特定の事件を意図したというより、一般性のある別れの表現とみなすほうが自然だろう。
たぶん一青窈は、不条理な事件から受けた衝撃を昇華して、より普遍的に人を思いやるこの歌を作ったのだ。前出の記事では「自分の死生観や父母に対する思いも詰まっている」と語っていた。
「薄紅色」という美しい言葉が、祈りや希望やいのちの息吹を感じさせる。
ところでハナミズキの原産地アメリカ南部にはこの花の歌が数多くあってよさそうなものだが、意外に少ない。花の下で一緒に過ごして去った恋人を追想するウィスキー・マイヤーズの「ドッグウッド」くらいしかぼくは知らない。歌の題材にされにくいのは、ドッグウッドといういまひとつ風情のない通称のせいだろうか。
なお、ドッグウッドというキリスト教系のパンク・ロック・バンドがあるが、そのグループ名はアメリカの俗信でこの花の形が十字架を連想させることにちなむのだそう。
一青窈は、「ハナミズキ」発表に際して、放課後に東京の二子玉川の商業施設ドッグウッド・プラザによく行ったという思い出を記している。
text 北中正和